[2022.6]【琉球音楽周遊❹】 鹿児島県 奄美諸島のシマ唄① | 宮沢和史
文●宮沢和史
*以下敬称略
“シマウタ” という言葉はそもそも奄美大島で使われていた言葉だという。“シマ” とはIslandではなく、その人の生活圏=村落、集落を指している。任侠映画のせりふにある「うちのシマ」というやつはその組織の縄張りという意味で、それと同じ意味合いの使われ方だと言っていい。我が集落ではこういう言い方をする、同じ歌であっても我が集落ではこう歌う、といったように相対的に自分のテリトリーを誇示する意味でシマという言葉は言い勝手が良いのだと思う。沖縄でも「この言葉を使っていこう」と沖縄民謡を「しまうた」と日常的に呼ぶ人が増えてきたのはそんなに大昔の話ではない。今から30年ほど前、もし、皆が沖縄民謡=しまうたと呼んでいたのだとしたら、自身の曲のタイトルに『島唄』と付けたりはしなかっただろう。
奄美諸島の民謡では伴奏に沖縄の三線を使うが、弦は3本とも張り替えてしまう。奄美の島唄はキー設定が高く、それに合わせて伴奏の音域を上げるには沖縄よりも細い弦を張る必要がある。沖縄では弦を弾くのは自分の爪、もしくは、水牛の角で作ったバチを使うのが一般的で、奏法は基本、弦のダウンピッキングで弾き下ろし、アップピッキングで弾き上げることは稀だ。しかし、奄美では細く薄い竹のヘラを使い、時に叩きつけるように弾いたり、アップピッキングも使う。そして、音階も沖縄とは異なる。沖縄本島の民謡はレ・ラをあまり使わない音階だが、奄美諸島では基本、日本民謡によくみられる “ヨナ抜き”(ファ、シを抜く)の旋律である。
歌の題材はそれこそ様々だが、逆らえない立場の者(内外の役人や権力者)からの不条理な圧力によって生まれる悲劇を題材とした唄も多い。歌詞の面で言うと、沖縄と言葉が似ている部分は多々見られるが違いも大きい。それを言ったら現沖縄県の島々もかつては会話が成立しないほど差異が大きかったし、さらに言えば同じ島内でもシマによって言葉に違いがあった。歌詞の構成は沖縄本島の琉歌と同じく、基本八音と六音が基本になっている。かつて、琉球國の支配下に置かれていたことの影響が大きいのかもしれない。だが、現在では奄美諸島は鹿児島県の島々だとされている。地図で見る通り、その地理的立場によって、沖縄(琉球)の文化と薩摩(日本)の文化が交わり、奇跡的に奄美民謡、奄美シマ唄、という至極の美しさを誇る音楽が構築されたのだ。奄美の料理をいただいても、琉球・大和、その両方を感じ取れる一皿が多く見受けられる。現沖縄県の琉球弧の島々と、現鹿児島県の琉球弧に属する奄美群島の間の文化的共通点、差異、を聴き取り、分析することは音楽的知識欲を大いに駆り立てられる行為である。
奄美大島では声のいい歌う手を “声者(くいしゃ)” と呼ぶ。ここには「この人は声はいいが…」と言う意味合いが含まれる時もある。誰もが認める美声と歌唱力と多くの知識とレパートリーを持つ者がはじめて “唄者(うたしゃ)” と呼ばれる。奄美の歌は大変難しい。基本的に歌の上手い人間にしか歌えない。“味” が通用しないのが奄美のシマ唄だ。したがって、我々が耳にすることができる歌はほぼ “唄者” によるものである。その域に達していない歌はこちらには届かない。それほど、レベルの高い洗練された歌なのだ。
あまり語られないが終戦後、奄美諸島もアメリカの統治下に置かれ、日本から切り離された歴史を持つ。沖縄に先立って1953年に日本に返還された。その日が12月25日であったことからアメリカ政府は “日本へのクリスマスプレゼント” だと称し復帰発表を行った。
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