[2023.7]【境界線上の蟻(アリ)~Seeking The New Frontiers~10】V.A./中村とうよう 「世界こぶし巡り」+「こぶし地帯を行く」(MELISMATA - A GREAT CIRCLE OF GRACE NOTES)
文●吉本秀純 Hidesumi Yoshimoto
2011年7月に音楽評論家の中村とうようさんが亡くなってから今年で13回忌を迎えたのを機に、かつてご自身のレーベルである≪オーディブック≫から発表していたコンピレーション盤が立て続けに復刻されている。青春篇/源流編/放浪編に分けられた3CDでボサノヴァの多角的な魅力に迫った『ボサ・ノーヴァ物語』、86年にLP2枚組の2セットで発表されていたものに新たな音源を追加して90年に3枚のCDとして新装リリースされていた同名の大著を音盤化した『大衆音楽の真実』ともに、当時にはバラ売りされていたものが1つにまとめて復刻されたことで、改めて各作品の一貫したヴィジョンや制作意図、そして50年代からリアルタイムで世界中のポピュラー音楽に接してきた氏ならではの観点、曲選びにおける粋なセンスがより明確に〝聴いて・読んで〟楽しめるようになったのは嬉しいところ。インターネットも普及していなければ、サブスクやYou Tubeも当然まだ存在していない時代に、様々なルートから入手することができた音源や書籍から見識を拡げ、世界各国のポピュラー音楽の豊かさや意外な繋がりに迫っていった氏の真骨頂が、練り込まれた選曲(オーディオ)と饒舌なレコード・コンサートを文字起こししたような詳細なテキスト(ブック)によって立体的に味わえる。そんな復刻プロジェクトの第3弾として、95年と96年に制作された2作品を収録した『世界こぶし巡り』+『こぶし地帯を行く』(英題は〝Melismata – A Great Circle Of Grace Notes〟)は、より大胆なテーマ設定によって、当時のワールド・ミュージック隆盛の流れの中で重要なエッセンスとして浮上していた〝こぶし〟を独自に掘り下げ、類例のない音楽地図を提示した編集盤となっている。
さて、〝こぶし〟といえば演歌で多用されるあの節回しであり、本作もコッテリとした節回しの歌謡ワールド・ミュージックにフォーカスした内容であると先入観を持つ人がいるかもしれないが、どちらかと言えば、英題から想起されるイメージに内容は近い。80年代の半ばあたりから、インドネシアのエルフィ・スカエシ、セネガルのユッスー・ンドゥール、アルジェリアのライの帝王のシェブ・ハレドなどが幅広く聴かれるようになり、それらに通底する〝こぶし〟という観点で氏が長い時間をかけて集めてきたSP盤のコレクションも駆使しながら編纂されたのがこの2作品で、『世界こぶし巡り』はタイトル通りに〝こぶし〟という共通項で古今東西の名唱を同一線上に並べたショーケース的な1枚。スティール・ギターも伴奏に加わる、インド映画歌謡の女王=ラター・マンゲーシュカルの51年録音曲から幕を開けると、15歳の頃のテレサ・テンの初々しい佳曲を挟んで、日本の戦前の歌謡曲、御詠歌、追分と日本における〝こぶし〟音楽の源流を探り、かつて小泉文夫が追分のルーツはモンゴルのオルティン・ドー(〝長い歌〟の意味)ではないかと言及したことを検証するように、続いてその録音が置かれる。しかし、その次にはこっちの方が江差追分に近いのではないかとブルガリアの音源が置かれ、その後は古いアザーンの録音やナイジェリアのアパラなども挟みながら、こぶし地帯の本丸と呼べる地中海~中東エリアへ。さらに、終盤にはライトニン・ホプキンス、サラ・ヴォーン、オーティス・レディングといった米国のブルース/ジャズ/ソウルの大物たちの名唱までもが収録され、米国黒人音楽への接し方までも刷新してくるのも大きな聴きどころ。日本におけるブルースやジャイヴの普及にも尽力してきたとうようさんならではの音楽観と切り口に、改めて感嘆させられる。
そして、翌年にリリースされた続編の『こぶし地帯を行く』は、エリアを西アジアから東南アジアにかけての地域に絞り、コブシの本場の名唱の数々を貴重なSP音源でたっぷりと堪能させてくれる。「古典音楽や民俗音楽からスタートしたくなかったので」と前置きした上で、エジプトで活躍したユダヤ系女性歌手のライラ(レイラ)・ムラッドが30年代に録音した、タンゴを取り入れたアラブ歌謡から軽快に幕を開ける本作は、現在よりも遥かに情報量が少ない中で制作されたものにも関わらず、今に聴き直してみても新鮮に響く。ムハンマド・アブドゥル・ワッハーブ、ゼキ・ミュレンなどといった重要人物がしっかり押さえられているのに加え、江利チエミでお馴染みの「ウスクダラ」の原曲が中盤に挟まれていたり、ヌール・ジャハンを筆頭とするパキスタンのガザルのヴィンテージな録音から、インドの外せない大物たちをフォローした後にビルマ(ミャンマー)、タイ、ベトナム、マレーシア、インドネシアまで見渡した選曲の視野の広さもまた、他の同系統のコンピ盤ではなかなか味わえないものだ。フランスのクリュープ・デュ・ディスク・アラブの『アンテグラール』シリーズや『イスタンブール1925』といった当時に入手できた限られた編集盤からさらに独自で掘り下げ、そこには収録されていなかったより良い曲を探し当てて編纂された形跡が、詳細に書かれた解説から窺い知れる。
(ラティーナ2023年7月)
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