[2022.11]【連載シコ・ブアルキの作品との出会い㉟】 上からでも下からでも読める歌詞 — Corrente
文と訳詞●中村 安志 texto e tradução por Yasushi Nakamura
シコ・ブアルキは、ポルトガル語の歌詞を、実に巧妙に操ります。多くの作品において、誰かを批判した内容であるのに、そう見えない歌詞になっていたり、文脈や着眼点次第で二重三重にも異なる意味を感じ取ることができる複雑な作品があったりと、卓越した技を見せてきたことについて、この連載で何度かご紹介してきました。
中には、体制批判の歌に数えられる作品とみられつつも、表面上は一切非難する形式をとらないというテクニック、更には、批判する相手の存在自体を歌の中で示すこともない一方で、自分を主語とした表現にとどめることで、裏側からなんとなく皮肉を滲ませるような微妙な歌もあります。今回は、このような例として、Correnteという面白い歌をご紹介します。
歌詞には、登場人物が、自身の誤りや罪を認めるようなセリフが、ちりばめられています。体制批判の歌を厳しく取り締まっていた検閲との関係から見れば、審査を通りやすくするために施したテクニックなのかもしれません。
歌のタイトルとなっているCorrenteとは、通常でいえば「鎖」を意味する単語ですが、上下どちらの方向かを問わず、均等な形のものが連なった状態を指しているともいえるでしょう。歌詞の各行を、書かれてある順序のまま歌えば、面白い歌になっていますし、さかさまに、下の行から上に向かって順に歌っていっても、それなりに別なストーリーに読めるようになっているのが、もう1つの特徴といえるでしょう。
各行が、比較的独立したまとまりのセンテンスになっていて、ほぼ同じ音韻数と似た形のメロディーにまとめるという、形式面での統一がなされていて、1つ1つの行が入れ替えのきくモジュールのような構造になっているのも、こうした読み方を可能とする重要なテクニックです。
シコ自身も、アルバム『Meus caros amigos』のジャケットの中で、「この鎖の中で、歌詞のそれぞれの行は、使う人の好みに応じて自由に配置できるある種の連結物のようなものに仕立ててあります。そのままの順序でも、後ろ方向に読むこともできるようになっている部分があります。」と、述べました。
そうした前提をいったん頭に入れて、歌詞を少し見てみましょう。ある場所を、上下それぞれの順序で読んだとき、こんな感じになります。
①(上から順に歌った場合)
顔に一発食らうことも必要かも → サンバがずっと良くなったのをこの目で見るには
②(下から上に読んだ場合)
顔に一発食らうことも必要かも → 自分が正しくないサンバを歌っていたことを白状するには
①の場合、当局などから一発脅しなどを食らえば(あるいは、権力の言うことをきいていれば、)自分の作風は良くなるというニュアンスがあり、自分が過ちを認め、お上に従うという意味合いが感じられる流れに見えます。一方で、②の場合、脅しを受けないと自分は白状などしない、過ちなど認めないぞという含意が生じ、むしろ権力への抵抗を剥き出す内容になってくるように思われます。逆向きの読めば、犯人の名前が浮かび上がる暗号のような仕組みに近いでしょう。
録音の後半は、異なる行の歌詞が同時に重なって歌われるような流れで歌われます。順不同の関係で聴く者の耳に響かせ、ある意味ゴチャゴチャとした効果を狙っているようです。シコが発揮する高度な言葉のゲームの、また別な部類と言えるでしょう。
この歌には、副題として「Este é um samba que vai pra frente(これは前進するサンバだ)」という言葉が添えられており、このフレーズは、この時代1977年にレコードが出た、Os Incríveis(ウズ・インクリーヴェイス)というバンドが歌う別な歌 Este é um país que vai pra frente(これは前進する国だ)というタイトルに重なる内容です。同時期に流行した別な歌の言葉を、似せたフレーズを使うことでなんとなく皮肉を醸し出していることが、当時のブラジルのリスナーにとっては、自動的に感じられるようになっています。
Os Incríveisが歌ったEste é um país que vai pra frente
記録によると、検閲当局は、歌詞の言葉を目の前に置いて、ここを削るべきだ云々といった検討をする一方で、録音された音源・演奏を聞きながら中身を吟味するというスタイルでは、あまり作業していなかったと伝えられています。
男性コーラスグループのMPB4による上演のために申請された、この歌の歌詞に対する検閲結果を示す書類が後年公開されましたが、この申請書では、シコが実在しない別人物であることを装うために作り出したペンネームのペドロ・マンデーという人物名が曲の作者とされており、当初録音がシコによるものと表記され、副題だけはカットするようにとスタンプが押されています。
シコ・ブアルキ作品に対する後年の評価においては、この歌は結局、実際にここまでややこしい偽装を絡めなくても、十分検閲の手を免れることができている(副題の削除程度で済んでいる)という意味で、歌詞が巧みに仕上げられている、かなりの秀作ではないかといった声もみられます。この曲を最初に教えてくれたブラジルの友人が80年代に語ってくれたとき、この「鎖」の構造は、他の歌ではなかなか実現できない異色なもので、あなたのような外国人には、なぜこのような歌詞が書かれているのか、最初に見て読み取ることは難しいだろうと、初心者の私に配慮して教えてくれていたのを思い出します。
(ラティーナ 2022年11月)
ここから先は
世界の音楽情報誌「ラティーナ」
「みんな違って、みんないい!」広い世界の多様な音楽を紹介してきた世界の音楽情報誌「ラティーナ」がweb版に生まれ変わります。 あなたの生活…