[2024.11]【タンゴ界隈そぞろ歩き⑲】《タンゴ・ロマンサ》はタンゴの《無言歌》なのか?
文●吉村 俊司 Texto por Shunji Yoshimura
アルゼンチンタンゴには《タンゴ・ロマンサ (tango romanza)》と呼ばれる形式がある。1920年代以降に作られたロマンティックな楽曲を指し、日本では《タンゴの無言歌》と訳されたりもする。
最初にタンゴ・ロマンサという形式名が使われたのは、1924年(ちょうど100年前!)にエンリケ・デルフィーノが作曲し、ホセ・ゴンサレス・カスティージョが作詞した「グリセータ(Griseta)」だった。グリセータはフランス語のグリゼット(grisette)がスペイン語化したもの。そのグリゼットは「お針子さん」などと訳され…いやちょっと待って。《無言歌》なのに歌詞があるの?
無言歌とロマンサ
クラシック音楽ファンなら《無言歌》と言われればいくつかの曲が浮かぶに違いない。私はクラシックには疎いので、以下は付け焼刃の知識であることをご容赦いただきたい。
《無言歌》に該当する最初の音楽作品は、19世紀のドイツ・ロマン派の作曲家フェリックス・メンデルスゾーンが生涯にわたって作曲した一連のピアノ小品集 “Lieder ohne Worte”(言葉のない歌)だった。一方フランスではフォーレが "3 Romances sans paroles"(3つの言葉のないロマンス)を作曲している。
その後、管弦楽や室内楽でも《無言歌》の名が付く曲が作られているが、当然ながら歌詞のついたものはない。一方で、音楽用語における《ロマンス》は元々は歌曲で、その後器楽曲にも用いられるようになった。下の説明が大筋を網羅している。
つまり、《ロマンス》という言葉はこれ単体で《無言歌》を指すわけではない(上の引用ではスペイン語表記はromanceになっているが、音楽用語としてはromanzaも使われる)。とすると《タンゴ・ロマンサ》を《タンゴの無言歌》とするのは、ちょっとした勇み足だったのではないか、と私などは思ってしまう。
パリからブエノスアイレスに流れ着いたグリゼット
デルフィーノの「グリセータ」に話を戻そう。グリセータはフランス語のグリゼットがスペイン語化したもので、そのグリゼットは「お針子さん」などと訳される。19世紀のパリにおける象徴的な存在で、多くの文学作品やオペラなどに登場する。
かくして、パリの若い男性たちとの恋物語を繰り広げ、やがてキャバレーの踊り子になる者、パトロンの援助を得て成功する者、転落の人生を歩む者などが出てくる。詳しくは上記の引用先のブログ記事を参照していただきたい。
さて、そのグリゼットがなぜグリセータとしてタンゴに登場するのか。「グリセータ」が作曲された1924年当時は、パリでもタンゴブームが巻き起こっていた。20世紀初頭よりタンゴが少しずつ紹介され、エンリケ・サボリード、アルフレドとフローラのゴビ夫妻(1940~50年代に活躍するアルフレド・ゴビの両親で、息子の方のアルフレドは1912年にパリで生まれた)、エドゥアルド・アローラスといったタンゴのアーティストがパリに渡って人気を博す。フランシスコ・カナロ楽団がパリ公演で大成功を収めて「パリのカナロ」が作曲されたのは「グリセータ」の翌年の1925年。
パリでタンゴがブームなら、そのパリに題材を求めたタンゴも作られるようになる。パリのグリゼットはロマンスを夢見てブエノスアイレスにやってくるのだ。キャバレーの喧騒の中でデ・グリューの夢を見、マノンになりたいと願う。しかし現実は厳しく、彼女のデュヴァルは見つからない。冷たく汚れたスラムで、ミミやマノンのように寂しく死んでいく……(デュヴァルはアレクサンドル・デュマ・フィスの小説「椿姫」の主人公の恋人、ミミはプッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」の、デ・グリューとマノンはアベ・プレヴォーの小説「マノン・レスコー」の主人公)。
そのような詞を得た楽曲は和声もメロディも非常に洗練されていて美しく、器楽曲として演奏されることも多い。ここではカルロス・ディ・サルリ楽団、歌手ロベルト・ルフィーノの録音を紹介しておこう。
タンゴ・ロマンサの名曲たち
デルフィーノ以前にもこのような傾向、雰囲気を持った楽曲は、例えばフアン・カルロス・コビアン等が作曲していた。デルフィーノ以降でタンゴ・ロマンサの代表的作曲家として挙げられるのは、まずフランシスコ・デ・カロ。現代タンゴに偉大な足跡を残したフリオ・デ・カロの兄である。ピアニストだった彼が作った曲には、例えば「ロカ・ボエミア(Loca bohemia, 狂乱のボヘミアン人生)」がある。フランシスコ自身のピアノが聴ける1928年のフリオ・デ・カロ楽団の録音がこちら。
ここでは歌われてはいないが(というかほとんど歌入りの録音を聴いたことがないが)、ダンテ・リンジェーラによる詞がついている。「夢見るボヘミアンの歌い手。愛すること、それが人生。しかし女性が金持ちの元へと去り、歌うことの意味を失う。…… 狂ったボヘミアン、今や心はうめくことをやめ、痛みも去った。もうひとつの幻想が狂おしい情熱と共に感動の花を咲かせるなら、彼女が去ったことはどれほどのことなのか。忘却よ来たれ。夢を見、笑い、自分を欺き、裏切り、やり直す。それが人生」
ストーリーのプロットは異なるものの、ボヘミアンと言えば「ラ・ボエーム」が連想される。
同じくフランシスコ・デ・カロが書いた「フローレス・ネグラス(Flores negras, 黒い花)」もタンゴ・ロマンサの名曲。これには後からマリオ・ゴミーラが歌詞を書いたがやはりほとんど歌われることはない。名手レオポルド・フェデリコのバンドネオン・ソロで聴いて頂こう。
タンゴ・ロマンサの作曲家としてもう一人忘れてはならないのがホアキン・モラ。タンゴ・ミュージシャンには珍しい黒人(アフリカ系)のバンドネオン奏者で、この上なく美しい曲を書いている。個人的に大好きなのは「エン・ラス・ソンブラス(En las sombras, 影の中で)」。1934年の作品で、マヌエル・メアーニョスが詩を書いている。「愛などなくても幸せだった私のところに貴方は突然やって来て、そしてちょうど1年後の今日、貴方は何も言わずに去っていってしまった。貴方の愛は私を照らす一条の陽の光だった。今私は再び、貴方の愛の明るさを受け止めていたという想い出と共に、影の中に取り残されている」
アストル・ピアソラが大スランプに陥っていた1967年、レコード会社の企画モノとして録音された『タンゴの歴史 第2集 ロマンティック時代』に収められた演奏をお聴きいただきたい。
モラが書いた「ディビーナ(Divina, 女神)」も特異なメロディー感覚が素晴らしい。作詞はフアン・デ・ラ・カージェ。失恋の悲しみに暮れる女性を見守り、「もうひとつの愛が貴方の痛みを癒やそうとしている、笑顔を取り戻して」と語りかける。大きな跳躍と半音進行が交互に続き、おそらく歌うのはかなり難しい部類かと思われる。エレガントな響きのオスバルド・フレセド楽団はこの曲の雰囲気にぴったりだ。歌うのはカルロス・バリオス。
さらにもう一曲モラ。1933年に作曲された「マルガリータ・ゴティエ(Margarita Gauthier, 椿姫)」はまさに小説の「椿姫」 を念頭に置いた歌詞がフリオ・ホルヘ・ネルソンによって書かれている。「きょう感動のうちに君を想いおこす、わが女神のようなマルガリータよ。私は君のアルマンドだ。君が安らかに眠っていた寝台に、枯れた椿の花束を置きながら、私は泣いて祈る」(アルマンドは「椿姫」の登場人物アルマンのスペイン語読み)。
オラシオ・サルガン楽団の演奏、ロベルト・ゴジェネチェの歌で聴いて頂きたい。
こうして見ると、元は器楽曲だった「フローレス・ネグラス」は例外としても、タンゴ・ロマンサにおいては歌詞が重要な役割を果たしているように見える。とすると、《ロマンサ》の言葉はロマン主義文学やオペラとのつながりとして考えた方が適切なのかもしれない。これらの楽曲を器楽曲として聴く場合でも、音楽的な豊かさをもたらす大きな要素であったはずの言葉の存在についても、思いをはせてみるのも良いのではないか。
なお、各楽曲に付加した歌詞の抄訳は、Todotango.com で調べた歌詞を DeepL 翻訳 で英語及び日本語に翻訳して内容を把握した上で筆者がまとめたもの。ただし「マルガリータ・ゴティエ」は『タンゴ名曲事典』(石川浩司・編、中南米音楽)からの引用である。また「グリセータ」や《タンゴ・ロマンサ》については下記のサイトの記事を参考にした。
(ラティーナ2024年11月)
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