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[2022.8]【アントニオ・カルロス・ジョビンの作品との出会い㉘】 眼と眼が合えば - 《Pela luz dos olhs meus》
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[2022.8]【アントニオ・カルロス・ジョビンの作品との出会い㉘】 眼と眼が合えば - 《Pela luz dos olhs meus》

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文と訳詞●中村 安志 texto e tradução por Yasushi Nakamura

中村安志氏の好評連載「シコ・ブアルキの作品との出会い」と「アントニオ・カルロス・ジョビンの作品との出会い」とは、基本的に毎週交互に掲載しています。今回は、ミウーシャとジョビンのアルバムに収められて最初にヒットした「Pela luz dos olhos teus(君のまなざしの輝きに)という曲ですが、ここにはヴィニシウスの「想い」がたっぷり詰められていた....。外交官として長くブラジルに滞在した中村氏だから書けるエピソードです。お楽しみ下さい。

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 ジョビンが、女性歌手ミウーシャ(シコ・ブアルキの姉。ジョアン・ジルベルトの妻でもあった)とのデュエットで「結婚しなきゃ、結婚しなきゃ」と繰り返しながら笑顔で締めくくる名曲、「Pela luz dos olhos teus(君のまなざしの輝きに)」。この歌が、カネカン劇場のライブなどで喝采を浴びたのは、ミウーシャとジョビンの名アルバムが出された1977年のことでした。お茶目さたっぷりで、しっとりと語るように歌うミウーシャの歌声で、すぐに馴染んでしまうシンプルなメロディー。多くのファンの心をつかんだ曲です。

 この曲については、ジョビンとの名コンビで生まれた「イパネマの娘」作詞などで有名な作詞家ヴィニシウス・ジ・モライスが、1960年の時点で、既に歌詞も曲も単独で完成させたとも言われていますが、洗練されたメロディーと和声には、ジョビンが参画しているとみる向きが少なくありません。いずれにしても、ジョビンの手を経て大きな人気を博した歌であり、連載「ジョビンの作品との出会い」の中に含めて、ご紹介することにしました。

↑ジョビンとミウーシャのデュエットによる「Pela luz dos plhos teus」

 歌詞は、思いを寄せる相手のまなざしと自分のまなざしがピッタリと合うとき、ヒヤリと身震いを感じるという緊張感を語る一方で、逆に、相手のまなざしがひとたび自分の視線に抵抗を示すと、燃えるような苛立ちで「自分は火事になったようだ」と、対照的な表現で感情を表す表現が散りばめられ、最後のほうで、もうこれは「結婚しなきゃ(収まらない)」という思いを率直に打ち明ける、とてもわかりやすい内容となっています。実際に大きなヒットを呼んだミウーシャのお茶目な歌声に対し、その相の手にジョビンがおとぼけを混ぜて語るかのような口調で応じることで、実にほのぼのとした雰囲気にあふれるデュエットに仕上がりました。

 最初の録音となった1960年には、ジョビンら数々のアーティストのプロデューサーを務めてきたアロイジオ・ジ・オリヴェイラが当時とりまとめていたアルバムで、カルロス・リラ、シルヴィア・テレス、ロベルト・メネスカル、オスカール・カストロ・ネーヴェスなど壮々たるアーティストの録音で編成する『まさにボサノヴァ(Bossa nova mesmo)』というレコードの中で1曲歌ってもらいたいとヴィニシウスに依頼。ヴィニシウスは、最初これを断ったものの、「このアルバムに、まさにあなたの声を欲しいのだ」と強く懇願され、「Pela luz dos olhos teus」を録音することになったと、記録されています。

  ↑ヴィニシウスの1960年の録音

 この歌の中心的作者と目されるヴィニシウスは、あまりの情熱家で、結婚を9回繰り返したことでも有名ですが、1968年のある日、ガルシア・ロルカの彫像の幕開きに参加すべく、リオからサンパウロに向かっていた列車の中で、6人目の妻となるマリア・クリスチーナ(ジャーアナリスト)にプロポーズした際、この歌を口ずさみながら迫ったと伝えられています。ヴィニシウスも、この年、前妻との別れで落ち込んでいた上に母親の死が重なり、辛かった中、得意の歌で復活を遂げたのではと評されたりします。

 ヴィニシウスは、幅広く活発な社交家でありながら、根っからの寂しがりやで知られ、リオの自宅も、玄関の鍵は開いたままで、常に誰かが遊びに来ている状態を欲していたとされています。マリア・クリスチーナは、このプロポーズを受けるよりもかなり以前からヴィニシウスの家に出入りしていたところ、数々の有名歌手のほか、ある日、大作家のルーベン・ブラーガが寡黙に座っている姿に出くわすなど、多くの有名人が来訪する実態をその目で見て驚いたと述べており、彼女がまだ学生時代に出入りしていた頃のこと、常連客の最年少であるからと、近所の店へのビール買い出しをよく命じられていた一方で、ある日、室内のトイレが使用中だったので、家事手伝い人が使う離れのトイレに向かったところを、酒がかなり進んだヴィニシウスにナンパされそうになり、雨傘を振り回して追い払ったなど、ハプニングの多い手記を残してもいます。

ヴィニシウスと、その6人目の妻となったマリア・クリスチーナ

 ミウーシャは、この曲を皮切りに、大いにもてはやされる存在となり、賞を受けたり、女王様扱いされたりしますが、彼女は名手シコ・ブアルキの実姉であり、父親は高名な歴史学者セルジオ・ブアルキ、そして自身が天才ジョアン・ジルベルトの妻でもあったということも影響しており、自分に近づいてくる人間には、こうした地位の高い親族への接近を目論んでいた者も少なくない、最後は自分自身しか信用できないのだと漏らすなど、難しい心境でもあったと伝えられます。しかし、歌いながら何度も愛嬌あふれる微笑みを湛え、心に染み入る熱い声を聴かせてくれた彼女は、近年ブラジルポップス界において欠かせないスターであったと思います。

 なお、この歌は、ミウーシャとジョビンのアルバムがヒットした77年から四半世紀をも経た2003年になって、なお、TVドラマ「恋する女たち(Mulheres apaixonadas)」のテーマ音楽に採用されるなど、ロングセラーの地位にあります。

    ↑TVドラマ「Mulheres apaixonadas」のオープニング

 ジョビンらと数々の名演を残したミウーシャは、2007年8月には、日比谷野外大音楽堂で、ジョビンの長男パウロらとともに健在ぶりを見せてくれましたが、2018年12月、多くの人々に惜しまれながら、享年81歳で逝去しました。合掌。

著者プロフィール●音楽大好き。自らもスペインの名工ベルナベ作10弦ギターを奏でる外交官。通算7年半駐在したブラジルで1992年国連地球サミット、2016年リオ五輪などに従事。その他ベルギーに2年余、一昨年まで米国ボストンに3年半駐在。Bで始まる場所ばかりなのは、ただの偶然とのこと。ちなみに、中村氏は、あのブラジル音楽、ジャズフルート奏者、城戸夕果さんの夫君でもあります。

(ラティーナ 2022年8月)


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