[2023.4]【ブックレビュー|ブラジル現代文学】『曲がった鋤』イタマール・ヴィエイラ・ジュニオール 著/武田千香、江口佳子 訳
文●花田勝暁
『曲がった鋤』という、幾分、そっけないタイトルの小説は、新人作家イタマール・ヴィエイラ・ジュニオール(Itamar Vieira Junior)によって書かれ、2020年にブラジルの主要な文学賞であるジャブチ賞(長編小説部門)とオセアーノ賞をダブル受賞し、2021年には、ブラジルで最も読まれた(売れた)本だった。2022年のベストセラー本のランキングでも、ランキング圏外とはならず、22位にランクインしていた〔Globo.com〕。ブラジルでは、2019年8月に出版されたブラジル文学最注目のこの小説が、昨年12月に、武田千香氏、江口佳子氏の翻訳で、水声社から上梓された。
ポルトガル語圏の小説が、これほどの早さで日本語へ翻訳され出版されるのは異例のことだ。この現代ブラジル文学の新たなる金字塔的傑作が翻訳されたことは、日本全国の世界文学の読者に広く知られるべきニュースである。駐日ブラジル大使館が水声社とのパートナーシップで、ブラジル文学作品を出版しているシリーズの中の1作として出版された。
ポルトガル語圏の作家による優秀な未刊の作品に対して与えられるレヤ賞を2018年に受賞した際、審査員は『曲がった鋤』のこのような点を評価した。「堅固な構成および語りのバランスとブラジルの田園風景の取り込み方、そして、その中で、女性と、その自由、家父長制社会による支配下で身体が受ける暴力に焦点を当てている」。
と、文学賞受賞とブラジルでの注目具合について書き連ねてみたが、私が、この小説を読みたいと思ったのは、実は、今年3月にリリースされた注目しているブラジルのシンガーソングライター、フーベル(Rubel)が新作アルバム『As Palavras, Vol.1&2』の制作期間に、ブラジル文学から影響を受け、特にこの小説『曲がった鋤』から大きく影響を受けたというからだ。制作全体的に影響を受けただけではなく、「Torto Arado〈曲がった鋤〉」という楽曲も収録され、小説の要旨が歌詞で歌われる。
(↑MVのイメージは歌詞とはあまり関係がありません)
下記のような歌詞で、MVについたコメントで、1番「good」が付いているコメントでは、こう言っている。「小説を読んだ人だけが、この音楽を聴きながら全てのシーンを想像できる。なんて美しい曲なんだろう。(Só quem leu o livro, consegue imaginar todas as cenas ouvindo essa música. Que trabalho lindo.)」
️ このコメントの通りで、小説を読み終えると、この曲のそれぞれの節が、どの場面のことを言っていて、誰が語っているのかが、想像できる。
もし良かったら、一度、歌詞(対訳)を読みながら、フーベルの「Torto Arado」を聴いてみて下さい。
楽曲の紹介が長くなったが、小説の紹介に入ろう。
小説の主人公は、2人の黒人の姉妹。ビビアーナとベロニージアは、バイーア州セルタォンの農場ではたらく労働者の娘、奴隷の子孫であった。ブラジルでは、1888年に奴隷制度は廃止されたが、彼ら/彼女らにとっては、奴隷廃止はカレンダーに記された日付以上のものではなかった(※1)。
姉妹は、ベッドの下にあった祖母が大切にしている謎の古い革鞄の中身に強く興味を惹かれ、祖母が家を出た隙に鞄を開けると、中から、鮮烈な光を刃先から放つ象牙柄のナイフが出てきた。思わずその味を試してみたくなり、 刃先を舌に当てるが、奪い合いになって、もみ合ううちに二人とも舌に大きなけがを負ってしまう。一人は回復したが、もう一人の舌は切り落とされて元に戻らず、永遠に言葉を失なってしまう。姉妹は、一方が他方の声になるほど依存するようになった。
しかし、年月が経つにつれて、お互いが自分たちを取り巻くものに抱く視点の違いによって、姉妹の親密さは無くなってしまう。妹のベロニージアが、農場での作業や、父の魅力に満足しているようだが、姉のビビアーナは、すでに30年にわたり家族に課せられた奴隷制そのものの環境の不当性に気づき、土地の権利と労働者の解放のために戦うことを決意する。そのために、ビビアーナは、妹を含む家族と妹と離れ離れになることを余儀なくされる ⎯⎯ これが、三部からなるこの小説の第一部の物語である。
第一部の語り手は、姉のビビアーナ。第二部の語り手は、妹のベロニージア。そして、第三部の語り手は、聖霊である。この語り手の潤滑な移行は、この小説の魅力を増大させている。
事前に「第三部の語り手は聖霊」という情報を入れた状態で読み始め、「なぜ第三部だけ聖霊?」という気持ちで読んでいたが、その聖霊は物語に何度か出てきている人物(聖霊)であり、聖霊への感情移入が自然にでき、なんという小説だと感心した。
また、 姉妹のどちらが舌を失ったのかが、巧妙な語り口で、第一部の最後の最後まで明らかにされないが、それにより謎解きの要素もある。物語の先を知りたいと、一気に入り込ませてくれる。
『曲がった鋤』で、イタマール・ヴィエイラ・ジュニオールは、声もなく、土地もなく、権利もない人々に課せられた葛藤や不公正を、過剰さのない的確な描写で描いている。闘争、抵抗、痛み、弱さを持つ登場人物たちはとても、リアルな姿をしている。登場人物は架空の人物だが、描かれている状況はそうではないと切に感じさせ、今を生きる私たちに多くのことを投げかける。語り手は1人ではなく、ポリフォニーだ。多声的で、多くの声が語りかけてくる。
黒人の姉妹が主人公でかつ、語り手 ── 主人公、しかも女性が主人公の小説が、如何に、ブラジルで少ないか。更に、語り手が黒人である小説、語り手が黒人女性である小説が、如何に、ブラジルで少ないかについて、本書の訳者あとがきで、ある調査結果(※2)を紹介している。
本作『曲がった鋤』を執筆したのは、男性黒人作家のイタマール・ヴィエイラ・ジュニオールであるが、本作がすでに20 言語以上に翻訳され受容されているという事実に、「#MeToo」運動を契機にした人種、移民、ジェンダー、セクシュアリティを軸とした平等化、多様化への世界的な動きに連なるものとして本小説があるのではないという考えを強くする。訳者も「『曲がった鋤』 は、ブラジルの数的マジョリティを占めるマイノリティの人々にとっては、自分たちの問題が自分たちの視点で描かれている待望の文学だったのかもしれない」と記している。
「ブラジル社会では日常生活でさまざまな人種が穏やかに融合し、“人種の壁を越えた共存”が成功している」「ブラジル社会には人種差別は無きに等しい。差別と言えば階級差別である。貧困ゆえの犯罪は後を絶たないが、人種間の争いは無い」。こう言ったブラジルには人種差別はないという言説は学問の分野では近年否定されてきたが、白人偏重が続くブラジルの文学において、奴隷の黒人女性の主人公の視点で語られる作品が登場し、広く読まれている。本当は根強く存在してきた様々な差別に、とうとうブラジルが目を背けられない、そういう象徴として、『曲がった鋤』は存在しているのではないだろうか。
(ラティーナ2023年4月)
────
────
著者来日に関わるイベント情報(一般参加が可能なイベントのみ紹介)
■出版発表会 / LANÇAMENTO [参加する/inscreva-se]
「曲がった鋤」刊行記念 イタマール・ヴィエイラ・ジュニオールさんと翻訳者の武田千香さんトークイベント
Lançamento e sessão de autógrafos do romance “Torto Arado”, com a presença do escritor Itamar Vieira Junior
著書/Livro: 曲がった鋤 Torto Arado
日にち/Data: 2023年4月10日
時間/ Horário: 18:30-20:00
会場/Local: 代官山蔦屋シェアラウンジ Daikanyama Tsutaya Share Lounge
https://store.tsite.jp/daikanyama/floor/shop/share-lounge/
=============================
早稲田大学講演会 / Palestra na Universidade de Waseda [参加申込]
「Authors Alive!~作家に会おう~」/ "Authors alive ! ~ Let's meet the writer"
イタマール・ヴィエイラ・ジュニオール さん 講演と朗読「過去を耕す:脱植民地文学の視点」(Authors Alive!~作家に会おう~)
日にち/Data: 2023年4月12日
時間/ Horário: 17:00-19:00
会場/Local: 早稲田大学国際文学館/ The Waseda International House of Literature
https://www.waseda.jp/culture/wihl/other/3857
=============================
読書会 /Café Literário Bilíngue [参加する/inscreva-se ]
モデレーター/Moderadores: 上智大学講師タミス・シルベイラと東京外国語大学教授武田千香 (翻訳者の一人)/ Thamis Silveira, Leitora Guimarães Rosa na Universidade Sophia e Professora Chika Takeda da Universidade dos Estudos Estrangeiros de Tóquio (Uma das tradutoras do romance)
日付/Data: 2023年4月13日
時間/Horário: 18:00 - 19:30
会場/Local: ブラジル大使館 Embaixada do Brasil em Tóquio
Access
内容:イタマール・ヴィエイラ・ジュニオールの「曲がった鋤」による、第三回目ブラジル文学作品のバイリンガル(ポルトガル語・日本語)読書会。モデレーターの司会の下で討論会を行います。
Descrição:
Terceiro encontro literário bilingue (português e japonês). O encontro será sobre o livro "Tordo Arado", de Itamar Vieira Junior, e contará com moderadores.
=============================
\愛県大からのお知らせ/ イタマール・ヴィエイラ・ジュニオール 氏講演会 『過去を耕す:脱植民地文学の視点から』! ポルトガル語 での講演です(日本語逐次通訳あり)
4/17(月)16:10-17:40
ZOOM一般公開あり
詳細はこちら https://aichi-pu.ac.jp/about/press_release/item/20230406_press_release.pdf…
=============================
イベント情報については、こちらのページもご確認下さい。
=============================
ここから先は
世界の音楽情報誌「ラティーナ」
「みんな違って、みんないい!」広い世界の多様な音楽を紹介してきた世界の音楽情報誌「ラティーナ」がweb版に生まれ変わります。 あなたの生活…