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[2022.8]【中原仁の「勝手にライナーノーツ」㉕】 Beatriz Azevedo & Moreno Veloso『Clarice Clarão』

文:中原 仁

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 “閃光(きらめき)クラリッシ”。そう訳せば良いだろうか。『Clarice Clarão』は、ベアトリス・アゼヴェドとモレーノ・ヴェローゾが組んで、ブラジル文学を代表する作家、クラリッシ・リスペクトル(1920~1977。日本ではクラリッセ・リスペクトルと表記されることが多い)に捧げたアルバムだ。

Beatriz Azevedo & Moreno Veloso『Clarice Clarão』
ベアトリス・アゼヴェド(左)とモレーノ・ヴェローゾ

 ベアトリス・アゼヴェドはサンパウロ生まれ。大学で演劇を学び、1992年、オズヴァルド・ヂ・アンドラーヂとマリオ・ヂ・アンドラーヂが主導して1922年に開催しブラジルのモダンアートの出発点となった「Semana de Arte Moderna」の70周年を記念した舞台(監督はゼー・ミゲル・ヴィズニッキ)に出演した。60年代からサンパウロで活動してきた演出家ゼー・セルソ(ジョゼ・セルソ・マルチネス・コヘイア)の劇団「チアトロ・オフィシーナ」にも参加(注:1967年、チアトロ・オフィシーナが上演したオズヴァルド・ヂ・アンドラーヂ原作の『O Rei da Vela』はトロピカリア直前のカエターノ・ヴェローゾに大きな影響を与えた)。1998年、ファースト・アルバム『Bum Bum do Poeta』を発表してオリジナル曲を中心に歌い、ゲストにゼー・セルソ、アドリアーナ・カルカニョットを迎えた。

『Bum Bum do Poeta』のタイトル曲「Bum Bum」のヴィデオ。冒頭に登場する白髪の老人がゼー・セルソ

 以来、舞台俳優、シンガー・ソングライター、詩人、作家、演出家としてマルチに活動。2010年以降に発表したアルバム(トン・ゼー、ヴィニシウス・カントゥアリア、ゼリア・ドゥンカン、モレーノ・ヴェローゾなどがゲスト参加)はストリーミングで聴ける。また作家としても、詩集、かつてオズヴァルド・ヂ・アンドラーヂが提唱した “Antropofagia(アントロポファージア=食人)”をテーマとする書籍などを書いてきた。
 トロピカリア・チルドレンとも言えるベアトリスとは、1999年に『Bum Bum do Poeta』の日本盤の解説を書いた時からメールで交流が始まり、2015年にリオで初めて会うことができた。その時のことをブログに書いていたので、興味のある方は下記リンクからどうぞ。

 ベアトリスとペアを組んだモレーノ・ヴェローゾは、ベアトリスの2019年のアルバム『A.G.O.R.A』で2曲、共作・共演していた。そして今回のプロジェクトの発端は、2020年。USAのプリンストン大学がクラリッシ・リスペクトルの生誕100周年を祝う企画をベアトリスに依頼。ベアトリスはパートナーにモレーノを、さらにジャキス・モレレンバウム(チェロ)とマルセロ・コスタ(パーカッション)を呼んで “Now Clarice” と題するミュージカル・プロジェクトを行なった。このプロジェクトは2021年、 “Agora Clarice” と題してブラジルのSesc TVで放映された。

 カエターノ・ヴェローゾは著書「熱帯の真実」の中で、10代からクラリッシ・リスペクトルの著書を愛読、彼女を崇拝していたことを記していた。となればモレーノも父の影響で、クラリッシの作品に親しんでいたと想像できる。

 また、共演者のジャキス・モレレンバウムとマルセロ・コスタには、クラリッシとの共通点がある。クラリッシは1920年、ウクライナ生まれのユダヤ人。幼い頃、両親に連れられてブラジルに移住、北東部のマセイオとレシーフェで育ち、リオの大学に通い、成人後にブラジル国籍となった。ジャキスもマルセロもそれぞれ、ナチスの弾圧を逃れてポーランドからブラジルに移住したユダヤ人の家系。クラリッシに対する特別な想いがあっても不思議ではない。

 “Agora Clarice” のプロジェクトをもとに2021年12月以降、何回かに分けてシングル曲をデジタル・リリースし、2022年7月末、11曲入りのフル・アルバム『Clarice Clarão』をリリース。CDもSescから発売された。

 参加メンバーは今あげた、ベアトリス・アゼヴェド(ヴォーカル、ギター)、モレーノ・ヴェローゾ(ヴォーカル、ギターほか)、ジャキス・モレレンバウム(チェロ)、マルセロ・コスタ(パーカッション)の4人。クラリッシ・リスペクトルへの敬愛の情に貫かれた入魂のパフォーマンスで、小難しさはなく親しみやすい。バイーアの色彩が強く、ベアトリスのアルト・ヴォイスとモレーノのハイトーン・ヴォイスのブレンドも味わい深い。

 そしてスペシャル・ゲストにマリア・ベターニア。クラリッシの2作品の一部を朗読する。カエターノは著書の中で、妹のベターニアが10代半ばでクラリッシの作品を読んでいたと記していた。

 それでは曲を紹介していこう。アフロ・バイーアを代表するイジェシャーのリズムに乗った「Canto」は芸術と歌がテーマで、ベアトリスとモレーノが共作し『A.G.O.R.A』で録音した曲の再録。同じくイジェシャーの「Bis」はベアトリスとサンパウロのシンガー・ソングライター、デニ・ドメニコの共作。

 「Deusa do Amor」は、モレーノが+2のファースト・アルバム『Máquina de Escrever Música』(2000年)の中でバイーアのブロコ・アフロ、オロドゥンの名曲を、パーカッションの重厚なリズムを外し、美しい哀愁のメロディーを抽出してカヴァーし、話題になった曲の再録だ。「Circo」はベアトリスが作詞作曲、『Alegira』(2009年)で発表した曲の再録。バイーアのブロコ・アフロ、イレ・アイェを讃えた「Un Canto de Afoxé para o Bloco do Ilê」はカエターノとモレーノ親子の共作(当時モレーノは9歳)、カエターノが『Cores, Nomes』(1982年)で発表した。

 続いて、このアルバムのコンセプトを最も象徴するパートだ。マリア・ベターニアがクラリッシの1973年の小説「Água Viva」の一説を朗読する。続いてベアトリスが作詞作曲したタイトル曲「Clarice Clarão」。“理解するのではなく知ることが必要/待っているものに会いに行く/死ぬまで愛に終わりはない” と歌い、最後に Mãe Menininha の名が出てカンドンブレの儀式のリズムで終わる。再びベターニアが1974年の小説「Onde Estivestes de Noite」を朗読。朗読でも歌のように聞こえる、まさにベターニアの独壇場だ。クラリッシは1977年に56歳で他界しており、2作品とも晩年の作品になる。

 「Rede」はベアトリスが作詞作曲、『Alegria』(2009年)で発表した曲の再録。そして締めくくりの2曲には “詩へのオマージュ” をこめている。「Três da Madrugada」は夭逝したトロピカリアの詩人、トルクアット・ネトがカルロス・ピントと共作、ガル・コスタが70年代に録音した。「Escapulário」はオズヴァルド・ヂ・アンドラーヂの詩にカエターノがメロディーをつけ、『Jóia』(1975年)で発表した。曲名はカトリック信者が身につけるお守りのネックレスのことだ。

 聴いて穏やかな気持ちになれるのと同時に、壮大な旅へと誘い出される、ベアトリス・アゼヴェドとモレーノ・ヴェローゾが共同プロデュースした『Clarice Clarão』。ジャケットのイラストは、フェミニスト/哲学教授/造形作家、マルシア・チブリが描いた。8月初頭にはサンパウロと同州カンピーナスのSescで発売記念コンサートも行なわれた。

(ラティーナ2022年8月)



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