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「アストラッドは星になり、ジョアン・ジルベルトの隣にいます」 ─ アストラッド・ジルベルトが他界

 「イパネマの娘」の声となった歌手のアストラッド・ジルベルト(Astrud Gilberto)が、6月5日(月)夜に、他界しました。83歳でした。
 彼女の孫娘、歌うのが好きなソフィア・ジルベルト(Sofia Gilberto)が、Instagramで発表しました。

Minha vovó Astrud Gilberto fez essa música pra mim, se chama Linda Sofia 🌸 Inclusive ela queria que meu nome fosse Linda Sofia 🌼 A vida é linda, como diz a música, mas venho trazer a triste notícia que minha avó virou estrela hoje✨🌟✨e está ao lado do meu avô João Gilberto. Astrud foi a verdadeira garota que levou a bossa nova de Ipanema para o mundo. Foi a pioneira e a melhor. Aos 22 anos, deu voz à versão em inglês de “Garota de Ipanema” e ganhou fama internacional. A música, um hino da bossa nova, se consagrou como a segunda mais tocada em todo o mundo principalmente por sua causa. Amo e amarei Astrud eternamente e ela foi o rosto e a voz da bossa nova na maior parte do planeta. Astrud estará para sempre em nossos corações🎶💖 e neste momento temos que celebrar Astrud.

(この投稿には、アストラッドがソフィアのために歌った「リンダ・ソフィア」という曲が流れます)

おばあちゃんのアストラッド・ジルベルトが私のために作ってくれた曲で、「リンダ・ソフィア(かわいいソフィア)」という曲です🌸 私の名前をリンダ・ソフィアにしたいとまで言ってくれました🌼 人生は美しいと歌われていますが、悲しい知らせを届けに来ました。おばあちゃんは今日、星になりました✨🌟✨そしておじいちゃんのジョアン・ジルベルトの隣にいるのです。アストラッドはイパネマからボサノヴァを世界に広めた真の少女でした。彼女が最初であり、ベストでした。22歳のとき、「イパネマの娘」の英語版で歌声を披露し、世界的な名声を得ました。ボサノヴァのアンセムであるこの曲は、主に彼女の歌のおかげで、世界で2番目に多く演奏される曲となりました。私はアストラッドを愛し、永遠に愛し続けます。彼女は世界のほとんどの地域でボサノヴァの顔であり声でした。アストラッドは永遠に私たちの心の中にいます🎶💖そして今この瞬間、私たちはアストラッドを祝福しなければならないのです。

 今のところ、死因や亡くなった場所などは、明らかになっていません。
 度々、来日公演を行なっており、「ボサノヴァの女王」と称されてきました。

 日本語での録音もありました。これは、渡辺貞夫の曲を日本語で歌っています。

 これらは、有名曲を日本語で歌ったver。

 
 アストラッドが、偶然、「イパネマの娘」を歌うことになった経緯を、『ブラジリアン・サウンド(クリス・マッガワン, ヒカルド・ペサーニャ 著 · 武者小路実昭, 雨海弘美 訳)』から引用します。

 1964年に『ゲッツ/ジルベルト』が出された。このアルバムには、ジルベルトがギターとヴォーカルで、ジョビンがピアノで参加し、ミルトン・バナナがドラムス、トミー・ウィリアムスがベースで入っていた。アルバムでは2曲だけ、ジョアンの妻、アストラッドがフィーチャーされた。彼女はただ夫についてスタジオにきただけだったが、ゲッツが執拗に言い張って彼女が英語の歌を吹き込むことになった。というのもジョアンが英語の歌が歌えなかったからだ。
 アストラッドがそのクールで甘い歌声で歌ったのは、今や世界的な名曲とされている「イパネマの娘」の英語ヴァージョン(作詞はノーマン・ギンベル)だった。この「イパネマの娘」は前述のように、ジョビンとモライスの1962年の作だ。そしてこの曲によってアストラッドは突如として国際スターの座についたのだった。

 この「イパネマの娘」はジョアンのポルトガル語とアストラッドの英語が入ったデュエットの曲だったが、これはアメリカの人たちにも歌の意味がわかるようにと考え出されたアイデアだった。この「そよ風」のようにクールな曲は、その年のグラミー賞のベスト・ソングに輝き、『ビルボード』誌のシングル・チャートの5位まで上がった。だがもっと大切なことは、この曲がアメリカの多くの大衆にブラジル音楽の豊かさを知らしめたことだった。このゆるやかなスウィング感を持ったリリカルな曲は、多くの音楽家たちがこぞって歌ったり演奏したりするスタンダード・ナンバーとなった。

 アルバムでは、5分20秒あったver(↓)を、

 プロデューサーが、ジョアン・ジルベルトが歌うポルトガル語の部分を切って、2分47秒のシングルverにしてシングルとしてリリースし、大ヒットしました。

 アストラッドとジョアン・ジルベルトは、アルバムの録音から間もなくして離婚。
 人気者になったアストラッドは、Verveと契約し、ソロ歌手として、作品を発表するようになりました。
 ボサノヴァだけに拘らない多様な音楽を録音し、「甘く、クールで、舌足らずにも感じられる歌声」とそれを活かした巧みなアレンジで、ポップスシンガーとしての地位を築きました。

 2002年にリリースしたアルバム『Jungle』が最後のオリジナル・アルバムとなりました。自作曲も残しました。合掌。

(ラティーナ2023年6月)

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