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【追悼】[2015.07]MEU NOME É GAL 〜私は「ガル・コスタ」〜

 ガル・コスタ(Gal Costa 本名 : Maria da Graça Costa Penna Burgos 
1945年9月26日生まれ)が、2022年11月9日にサンパウロの自宅で亡くなりました。77歳でした。ご冥福をお祈りいたします。

 本記事は、2015年7月号の月刊ラティーナに掲載されたインタビュー記事です。改めてみなさまに読んでいただきたいので、公開いたします。2015年にリリースしたアルバム『Estratosférica』、50年のキャリア(当時)などについて伺っています。日本語で読めるインタビュー記事、これが最後になりました。とても残念です。
 最後のアルバムは2021年『Nenhuma Dor』となりました。こちらも中原仁さん連載記事にありますので、是非ご覧ください。

文●ヂエゴ・ムニス text por Diego Muniz
写真●ボブ・ウォルフェンセン todos os fotos por Bob Wolfensen

ニューアルバム『エストラトスフェーリカ(Estratosférica)』で、歌手のガル・コスタは新しい世代のMPBの作曲家たちとの対話を始めた
今、彼女は前衛性のフェーズであり、ブラジルで最も影響力ある歌手であるのに相応しい大胆さをまだまだ持っていることを証明する

 マリア・ダ・グラッサ・コスタ・ペナ・ブルゴスは世界的に有名な1人の歌手であるという以上の存在だ。ガル・コスタは、歌の学校のような存在だ。例えば、マリーザ・モンチ、ホベルタ・サー、トゥリッパ・ルイスといった歌手たちが、ガルの声の要素を持っていたり、影響を受けている。
 多くの世代がその過去に敬意を示す中、トロピカリズモを代表する女性歌手は、アルバム『エストラトスフェーリカ』をリリースした。アルバムは、50年のキャリアと、70年の人生を記念すべく、今現在においてインスピレーションを探求している作品。
 「自分の過去の曲を歌うような今の私だったかもしれないけれど、でも、実際の私はそういう風でありたいと思わないし、思ったこともない。私は、新しいものを好むという傾向がすごく強い。私のキャリアはリスクを冒すことと飛び越えることが区切りとなってきた。それが私の生き方なのよ」とガルは、自分のことを話す。
 ニューアルバムは、未発表曲と、現代的アレンジ、若い作曲家といった可能性に賭け、カエターノ・ヴェローゾとモレーノ・ヴェローゾのプロデュースによる2011年のアルバム『ヘカント』から始まった、彼女のキャリアの中でも最も挑戦的なフェーズが、前衛性への回帰が今も続いていることをはっきりと示している作品だ。
 「『エストラトスフェーリカ』は、その革新の後の一歩です。その意味で、より穏やかで、より親しげで、より包含的で、より楽しく聞いてもらいたい作品になった。ブラジルの日常風景の中にガルが入り込んでいけるアルバムです。ラジオ、ノヴェーラ、恋愛、別れ、ダンス・フロア、喜びの時、悲しみの時といった日常風景にガルが入りこんでいけるアルバムになりました。ガルは、このようにあらゆる側面を持っています。ブラジル音楽に革新を起こせると同時に、大衆的なラジオ番組でも放送されます」と話すのは、このアルバムで音楽監督と選曲の責任者のマルクス・プレトだ。マルクスはジャーナリストでもある。


■ノスタルジーのない記念

 「これまでやったことよりもこれからやることが優れているでしょ、もっと幸せであるために」。ガルは、ニューアルバムの1曲目でこのように問う。アルバムでは、モレーノ・ヴェローゾとカシンの2人のプロデューサーによって、ガルの声は、様々なジャンルやアレンジの上で響く。

 「アルバムは、複合的で、ガルが連れ添ってきた彼女の全ての側面を含んでいる。『エストラトスフェーリカ』は、実験的な『ヘカント』の延長にあると同時に、もう少しロック寄りだった60年代の終わりの時期のガル、定評のある曲を歌っていた古典寄りの時期のガル、いつも新しいものを探し求めているガルがアルバムにいる。ガルはいつも彼女自身のキャリアの中で、何らかの対立があるようにしてきた。だから、彼女はこれほど様々なことをしてきたんだ」とモレーノは言う。

 アルバムの収録曲は、未発表曲やガルのために新たに作られた曲だということが特徴だ。
「曲は〝今現在〟に繋がっていなければならない。歌手の歌声は、今この時に息づいている。サウダーヂや希望なしに、今この時に」と選曲に関わったマルクス・プレトは言う。


■ガルと、作曲家たちの新しい世代

「彼らは私の作品に影響を受けた音楽家たちです。そのことに彼らの歌を歌うことで応えるということは素敵なことです」

 『エストラトスフェーリカ』の曲のクレジットで、MPBの幾人かの新しい作曲家の名前が確認できる。それはガルがこれまで録音したことがない若い作曲家だ。
 「ガルの影響を深く受けているアーティストを探した。音楽家たちは影響の泉の水を飲まなければならないが、彼らは、ガルから受け継いだ文化、美学、感情、歴史の荷を、、作曲という形で、ガルへ返すことができた」マルクス・プレトは説明する。

 マリーザ・モンチ、トン・ゼー、カエターノ・ヴェローゾ、アントニオ・シーセロ、ミルトン・ナシメントといった定評のある音楽家がいる一方で、アルトゥール・ノゲイラ、マルーマガリャィス、セウ、リラ、ゼカ・ヴェローゾ、マルセロ&チアゴ・カメロ、クリオーロ、ジョナス・サーといった新しい名前も、CDのブックレットに刻まれている。

 「ガルが芸術的な挑戦に戻ったことは、不可欠だ。彼女は、インディペンデントでの活動だと思われていた音楽家の一群をメインストリームへ連れて行くことができる歌手だ。ブラジルで一番の歌手が、メジャーにとっては見えない存在である音楽家の曲を録音すれば、彼の状況は好転する」とアルバムに収録された曲「Casca」の作者であるジョナス・サーは言う。

■ガル・コスタへのインタビュー■

「私の声は私の心の鏡なのです」

 ガルはブラジルポピュラー音楽の歴史において最も影響力のある女性歌手のポストに完全に戻った。そこは彼女の場所だ。そのことがまだ全員にとって明らかではないこと自体が理不尽なことだった。ガル・コスタのような女性が現れることはもうないだろう。ブラジル人女性歌手のガル・コスタが本誌への独占インタビューに応え、新しいアルバムの制作について、カエターノ・ヴェローゾ、ジルベルト・ジル、マリア・ベターニア、トロピカリズモのミューズとしての永遠のイメージについて大いに語った。

── もし、アルバムが音楽家のある瞬間の肖像なら、キャリア50周年を記念しつつ、あなたは今どんな瞬間にいますか?

ガル このアルバムを『ヘカント』の流れにあるものだと考えています。それは私のキャリアにおける転換点でした。転換点は今までに何度もありましたが。私の音楽の歴史は、このような転換の瞬間で区切られていて、それは健全なことで、音楽家にとってとてもいいことだと私は思っています。

── アルバムは「Sem Medo e Sem Esperança」で始まります。詩人のアントニオ・シーセロがあなたのために書いた歌詞です。あなたからアルバムを聞く人に向けてのメッセージなのですか?

ガル アントニオ・シーセロは、私が今生きている時についての歌を作ってくれました。この曲でアルバムを始めることにしたのは、歌詞が私が言いたかったこと全てを言っているからです。歌詞は今この時の私の姿を、とても美しく感動的な歌詞で表現しています。

── どうして50年のキャリアを祝うのに、名曲のアルバムを作るのではなく、未発表曲に賭けたのですか?

ガル それが常に私の性格です。つまり、容易な方には行きません。リスクを冒して新しいものを手に入れて、古いものを失う。私はそれが好きだし、それが良いことだと思っています。活性させてくれるし、豊かにしてくれます。

── あなたはブラジル音楽における記念碑的作品をいくつも発表してきました。『エストラトスフェーリカ』もあなたのキャリアの中でそのような作品になると思いますか。

ガル このアルバムが、ブラジル音楽の歴史を変えるようなアルバムになるだろうとは思いません。とても重要な時期に誕生したアルバムで、たいへん重みがあります。キャリア50年であり、70才になる特別な年に作られたアルバムです。慣れたことをするよりも、私は更新することを求めています。

── あなたのキャリアの中で、何が一番大きなインスピレーションですか?

ガル ジョアン・ジルベルトです。彼が歌うのを最初に聞いたときのことを覚えています。私は幼くラジオを聞いて、流れていた当時の全ての音楽に興味がありました。アンジェラ・マリア、ダルヴァ・ヂ・オリヴェイラ、ミルチーニョ、ルイス。ゴンザーガ、ジャクソン・ド・パンデイロ、オルランド・シルヴァなどを聞いていて、ある日、ジョアン・ジルベルトが「想いあふれて」を、あの声で、あの奇妙で革新的なハーモニーで、歌っているのを聞きました。何か変なものを聞いていると感じましたが、でもそれは豊かで滅多にない美しさでした。それは私の情熱と心に火を付けました。

── ジョアン・ジルベルトはあなたの歌い方においても、影響がありましたか?

ガル ジョアン・ジルベルトのインパクトはとても根本的なもので、私の歌い方においてもかなりの影響がありました。あの時、プロになる前でしたが、ジョアンを初めて聞いて、歌うことを学び直しました。

── キャリア50年の年に、何があなたを飛躍させようとするですか? 

ガル 単純に、それが私の真実なのです。何もそう努めようとしているわけではなく、誰にも強制されているわけではありません。そうしたいからしているのです。アルバムがこのようなのは、それが私の真実だからです。そこでの私の歌は、あの音像に同化していて、その全てが私の歴史となるのです。全てが、この50年間の間に私がやってきたことと関係があるのです。

── モレーノ・ヴェローゾは、『エストラトスフェーリカ』には、ロック寄りのあなたから、古典を歌うあなたまで、あなたの全ての時代の要素があると言っています。それはあなたが望んだことですか。

ガル 考えてもいなかったし、望んでもいませんでした。カシンとモレーノに私が頼んだ唯一のことは、保守的なアルバムにしないでくれということでした。『ヘカント』の続きに存在するものを作りたかったけれど、『ヘカント Ⅱ』を作りたいわけではありませんでした。大胆なやり方でやりたく、アレンジにおいては奇異に映ることもやりたかったです。実際、アルバムは作る過程の中で、そのような特徴をもつようになりました。

── 記念となるアルバムですか?

ガル モレーノが言ったように、私の様々な時代の要素を含んでいるから、記念となるアルバムになったと思います。私の中に、ロックなガル、古典的なガル、北東部の歌を歌うガルがいます。それは豊かな音階のようで、まさにそこに全てがある。他の誰よりも、私自身に似た子供が生まれてしまいました(笑)

── 大胆さとポップ性をまとめることは、難しいことですか?

ガル それはとても自然に起きることです。その2つは、私が生きてきた音楽言語であり、私の音楽の歴史の1部となっています。それは変なことではなくて、そのために様々な世代が気に入ってくれています。奇異なことはなく、自然に響いています。

── あなたは、1人の歌手という存在以上の存在で、歌の学校のようでもあります。尊敬されてきましたし、今も尊敬されています。50年にもおよぶ活動を経て、今もこんなに成功して多くの人に影響を与えると想像しましたか?

ガル 神の恩恵で、毎日感謝しています。全ては、心、欲望、希望、熱意、私がやってきたことへの愛……そういったものの結果です。この音楽への愛によって、私はをの気持ちを持ち続けます、音楽は50年のキャリアの間ずっと生き続けてきました。

── 現在でも、あなたのイメージはトロピカリズモや、歌姫というイメージに強く結びついています。どうやってそういったイメージと関わっていますか?

ガル それは当然なことです。化粧せずに街に出て、何も問題ありません。いつもそうです。スーパーに行きますし、買い物もします、映画にも行きます。ステージにいる時に、あの歌姫のイメージを受け入れています。それはいいことだと思うし、私はそれを不快に感じません。そのことは私を捕らえたりもしない。普通の生活を送ろうと努めています。

── でも音楽的には違います。いつも大胆であること、「ガル・コスタ」と違うことが期待されています。

ガル 私のキャリアでは、いつも大胆さが求められてきました。過去に、そのプレッシャーは私にとって重圧でしたが、でもこのアルバムは穏やかに作り、どんなプレッシャーも心配もありませんでした。なぜなら、私が何をしたいかをわかっている人たちと制作し、私自身も自分が何をしたいかをはっきりわかっていました。

── あなたは、自分自身の大胆さに驚きますか?

ガル いいえ、驚きません。人が関心をもたないことも平気です。痛みがないとはいいません。全てのことに対してある種の苦しみというものがないというわけではないです。あるのですが、一部なのです。それよりも、このような前への飛躍をするということが、他のどんなことよりも喜ばしいことなのです。

── 曲のどういうところを気に入って、録音しようと思うのですか。歌詞ですか、メロディーですか。

ガル その2つのことが重要だと思います。でも、私は歌手ですから美しいメロディーを好む傾向があります。でも、シンプルなメロディーの歌も歌います。

── どうして、アルバムタイトル曲となる曲のアレンジにリンコルン・オリヴェッチを呼ぼうというアイディアが出たのですか。

ガル 「エストラトスフェーリカ」は、録音している中で生まれた曲です。ダンサブルな曲を入れたくて、プピーロが準備して録音しました。録音の後で、カシンに電話して、リンコルン・オリヴェッチがホーンアレンジをしてくれたと言いました。なぜどうしてそう思ったのか分かりませんが、私はこの曲から「フェスタ・ノ・インテリオール」をイメージしました。リンコルンはホーン・アレンジをしてくれて、それは彼の生涯で最後の仕事になりました。(リンコルン・オリヴェッチ Lincoln Olivetti は録音後の2015年1月13日に逝去)

── アルバムには沢山の若くて、あなたが初めて録音することになった作曲家がいます。これらの世代の作品を録音する際、何か違いを感じましたか?

ガル いいえ。私がある歌を歌う時、私のサインで歌うことになります。いくつかの曲は、録音スタジオで形を変えました。私は、それぞれの歌を、別のやり方で歌います。同じものはありません。シコ・ブアルキの作品であれ、誰の作品であれ、ある曲は私をより感動させ、ある曲はそうでもありません。私と深い関係性を持つものもあれば、そうでないものもあります。それぞれの歌には、それぞれ方法があります。

── あなたは70歳を迎えようとしています。何か年齢を感じることはありますか?

ガル 勿論、少しは感じます。私の考えと気持ちは生物学的な年齢と一緒ではないとよく言います。私は内面において、もっと若いのです。アルバムはそれを証明しています。私の声は、私の心の鏡です。

── ジルベルト・ジルとカエターノ・ヴェローゾは、キャリア50年の記念に、一緒にツアーをすると発表しました。マリア・ベターニアも記念のツアーを行っている最中です。あなた方の再会のステージの可能性はあるのでしょうか?

ガル 4人一緒ということですか? それはとても難しいと思います。私自身は『エストラトスフェーリカ』のツアーを始めます。『ヘカント』を携えて4年間歌ってきました。『エストラトスフェーリカ』でも同様な期間を過ごすことになるでしょう。カエターノとジルはツアーを始めるところで、どのくらい続けるのか私は知りません。おそらく、4人の再会はとても難しいでしょう。

── 少なくともあなたの気持ちとしては、この4人での再会が実現すればいいと思いますか? それとももう遅いと思いますか?

ガル もう遅いからというわけではなく、人生は進んでいます。ありがたいことに、私には私のスケジュールがあり、彼らもそうです。

── あなたは彼らの最近の活動を知っていますか? あなた方の関係はどうですか?

ガル 関係は素晴らしいです。私たちは友人で、お互いに愛をもって信頼し合っています。近しい関係です。ある人に毎日会う必要はありません。ある1人の友人に毎日会っていたら苛立たしいでしょう。親しい友人というのは、一ヶ月話さなくても、会ったときには離れていなかったかのように感じます。親しい友人だからこそ離れているということを問題にしないのです。

── あなたの海外でのイメージは、ブラジル国内でのあなたのイメージと似ているものですか?

ガル 例えば、アメリカでは、私はジャズ歌手だと捉えられています。ヨーロッパでも、同様な傾向がありますが、ボサノヴァやトロピカリズモのイメージもあります。そして日本では……彼らが私のことをどう思っているのかわかりません(笑)

(月刊ラティーナ2015年7月号掲載)


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