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【追悼】[2022.11]悲報!!! ブラジル最高の女性歌手、ガル・コスタ逝く!!!

文●本田 健治 texto por Kenji Honda

 ブラジルから悲しすぎる報せが届いた。

 2022年11月9日、ブラジル・ポピュラー音楽界の至高の歌手、ガル・コスタがサンパウロの自宅で、77才の生涯を終えた。

 前の週に、サンパウロで開かれた大きなフェスティバル「プリマベーラ・サウンド」というイベントのアトラクションに出演する予定だったが、少し前に行った右鼻窩のしこりを取り除く手術の回復が思わしくなく、休養が必要なため、直前で参加を取りやめていた…。

 57年という長いキャリアを持つブラジル最大の、永遠のヒットメーカーは、今年になって1980年代の大ヒット曲に焦点を当てたツアー「s várias pontas de uma estrela(星回り)」で精力的にブラジル国内をまわっていたし、他にも、この11月の後半にはヨーロッパ・ツアーも入っていた。だから、この最悪の結末を誰も想像すらできなかった。

 どんな疲れにも負けない、力強く、いつも美しい声で、必ず、聴くものを感動させてきたガルの歌声がもう聴けなくなるなんて、世界中のガル・ファンにこの悲報が伝わり、世界中に悲しみが溢れた。まだ死亡の原因すらわからない段階から、世界中のマスコミが、ブラジルの「トリピカリアのアイコンの死」を報じたし、ブラジルの数々のアーティスト、知識人たちが悲しみの言葉を送っている。

ジルベルト・ジル

Gilberto Gil

私たちの妹はもういない ガル、ガウシャと呼んでいた。私にとっても、彼女と親しかった人たちにとっても、そして彼女の歌に魅了されたブラジル中の多くの人たちにとっても、彼女がいなくなるのは寂しいことです。今、彼女の歌は、私たちの人生の残りの時間、私たちの歴史のすべての時間、私たちと一緒に滞在します。

ルーラ・ダ・シルヴァ(最近再選されたブラジル大統領)

Lula da Silva

 ガル・コスタが顔を見せて歌った国は、今日、その偉大な声の一つを失いました。しかし、その遺産、作品、記憶、歌は、彼女の名前Galのように永遠です。
 彼女の家族、友人、そして何百万人ものファンたちに哀悼の意を表し、連帯の意を表します。
 ガル・コスタは世界で最も偉大な歌手の一人であり、ブラジルの名前と音を地球全体に伝える主要なアーティストの一人でした。彼女の才能、テクニック、大胆さは、私たちの文化を豊かにし、新しくし、何百万人ものブラジル人の人生を揺り動かし、刻みました。

カルリーニョス・ブラウン

Carlinhos Brown

 ガルの歌は癒し系だが、ブラジルのポピュラー音楽のあらゆる表現のキュレーションでもある。彼女の一貫したレパートリーは、詩学に関する教えの百科事典であり、世界中のファミリーの耳にそれをどのように適用するかということだった。ガルは実験ではなく、全てに確信を持ってMPBを再認識していたのだと断言できる。
 彼女はウォーリー・サロマンのような社会のリーダーを演じ、我々の中にいるよう励ましてくれた。彼女の声は、耳にして即座に特定できる声だった。甘美で野蛮な南国人ガル・コスタは、その歌声を私たちの魂にそっと刻み込んだのです。

ガル・コスタと日本

 1980年、モントルー・ジャズ・フェスティバルに出演、大きな成功を収めた後、ようやく質の高い「ブラジル音楽」に普通の音楽ファンの興味が向かい始めた頃の日本に初めてやってきた。

 その後、クララ・ヌネス、アルシオーネ、ジルベルト・ジルといったブラジル音楽の巨星たちが、次々と来日して「ブラジル音楽ブーム」と呼ばれる一時代が続いたが、その礎を築いたのは、この時の彼女の至上のパフォーマンスがあったからこそ、と言われる…。

 ガル・コスタは私生活についてはあまり触れることはなかったが、1945年9月26日、バイーアのグラーサ地区で、母マライア・コスタ・ペンナと不在の父アルナルドの娘として、マリア・ダ・グラーサ・コスタ・ペンナ・ブルゴスとして生まれている。非常に厳しい生活を送ったようだが、しかし、その厳しい生活を救ったのが、カエターノ・ヴェローゾ、マリア・べターニャ兄妹、ジルベルト・ジル、トン・ゼー等、バイーアの強烈な個性の仲間たちだった。ガルは、ジョアン・ジルベルトの「シェーガ・ヂ・サウダージ」を聴いて、歌手を志すことになったは良いが、元々内気で控えめだった彼女は、家に甕を置き、そこに首を突っ込んで自分で発声を学んだのだとか。


カエターノ・ベローゾの悲しみの言葉

Caetano e Gal

 ガルはグラッサ地区のリオ・デ・サン・ペドロ通りに住んでいた少女でした。一番感動したのは、彼女の声の発し方です。ジョアン・ジルベルトも、アントニオ・カルロス・ジョビンも、そして私も、このことを理解していました。その他にも、ブラジルの歌は彼女の声によって拡大された面がたくさんあります。しかし、ガルの声の発露は、音符の意識的な習得とは無関係に、すでに音楽だったのです。そして、それが彼女の精神に、繊細さ、思考、感情、厳しさ、甘さを、のびのびと表現させたのです。「レカント」というレコードには、私が知ったマリア・ダ・グラサ、グラシーニャ、ガルのすべてが書かれています。私は、ガルが私たちの中に存在する意味を明確にするために、ジェーン・ドゥボックのために書いた曲に新しい曲を加えました。私は「レカント」を聴く — そして、この文を読んでくれた人たちにも同じことをするよう勧めます — ことによって、「ガル・ファ・タル」「ガル・ドミンゴ」「ガル・メウ・ノーミ・エ・ガル」を考え直そうと思うのです。最近このアルバムを聴き直して、改めてすべてを理解しました。


 バイアで成長したガルは、サルヴァドール市内のレコード店「ロニ・ディスコス」の店員として働きながら、上記の仲間たちとの関係を深めていった。1960年代の初頭、まずカエターノと知り合い、以来、生涯離れることのない絆を分かち合うようになったと言われている。やがて成功したグループ「ドシス・バルバーロス」を結成している。

 1964年、この年は他の中南米諸国同様、アメリカの主導で軍事クーデターが勃発した年。その仲間たちが、トロピカリアという(表面的には)文化運動を開始。ガルはマリア・ベターニャと共にその運動のシンボリックな役割、アイコンとして活躍するようになった。その年、ベターニャはすでにリオに出て、有名なライヴ・ハウス「オピニオン」で歌手としての活動を開始。ガルはそれを倣ってリオに出、上記の仲間たちと共に、録音もしている。この時期に、ガルはやはりサルバドールの大先輩で大スターだった念願のジョアン・ジルベルトとも直接知り合い、「君は最高のブラジルの女性シンガーになる」との言葉をもらって、俄然勇気づけられている。

 さて、日本では、1970年代になって、ガル・コスタの声がようやく伝わることになる。1970年に、ブラジルの大スターたちのLPのほとんどを擁するフィリップスと松下電器が新会社日本フォノグラムを設立。73年になってブラジル音楽のシリーズを発売することになった。そこで、シリーズのトップに紹介されたのがガル・コスタのアルバム「India」だった。タイトル曲がパラグアイの伝統曲だったのは未だになぜかわからないが、いずれにしても彼女の圧倒的な歌唱力が評価されるようになる。

 ……筆者がガルと直接仕事で関わったのはこのあたりからのこと。実は、その少し前1971年にその仲間たちが、MPB史上最高の反響を呼んだといわれるライヴ「ファ・タル」の実況録音盤がブラジルで発売された。確かに内容は素晴らしいし、ガルの弾き語りの素晴らしいのも入ってはいるが、録音状態を含めて全体的にライヴの場にいたもの以外には強烈には聴こえないものだった事と、ブラジル音楽の新しさを聴かせたいシリーズの1枚目にはふさわしくないと思えたから最初の発売を見送った。が、今でも、ブラジルでは非常に貴重な録音として崇め立てられている。しかし、そのあたりから日本でも輸入盤が少しずつ入り始めて、ブラジル音楽を聴くファンもできはじめていた。73年、シリーズは反響を呼んだのだが、まだまだ、全国的には広がらなかった。

 で、73年6月、上記のモントルー・フェスだ。私はすでに、この「ラティーナ」の前身の会社にいたが、海外でのブラジル音楽への盛り上がりに比して、日本でのブラジル音楽への理解は酷すぎる、ブラジル音楽を宣伝するために、最も重要なイベント、と考えたが、会社は許してくれず、休んで自費で行ったのがモントルー・ジャズ・フェスだった。ガル・コスタのステージは、予想を遙かに超えた素晴らしいもので、80年になってなんとか日本公演を実現する運びに持っていけたのだ。日本では前年からブラジル音楽のコンサート・シリーズを始めていたが、自信を持って望んだのが、このガル・コスタだった。

↑世界本格デビューとも言える1980年のモントルーでのステージ!

 当時、モントルー・フェスティバルを日本のFM東京で紹介していたが、それを仕切っていたのが、音楽評論家の青木誠さん。彼とはモントルーで一緒だった。当時、ガルのマネージャーは、カエターノのマネージャーでもあったギジェルモ・アラウージョ。敏腕マネージャーだったし、ガル・コスタという芸名の名付け親でもある。彼は、あのリオのカーニヴァルで、毎年ポン・ヂ・アスーカルで、世界中の金持ちの男性だけが参加できるパーティを開いて巨額の金を稼いでいた人でもある。なにしろ何でも力でねじ伏せる強引な人だった。モントルーで、ガルはサウンド・チェックに遅れてきた(マネージャのせいだ)上、サウンド・チェックでギジェルモがスタッフにいろいろ難題を押しつける。モントルーのプロデューサーはイギリスの著名なステージ・マネージャーで、業を煮やして、ついに喧嘩になり、サウンドチェックはすべて中止になってしまった。そのときにスイスのポリグラム社のブラジル担当者と、なんとかステージ・マネージャ氏を説得して公演だけは実現させて、と頼み込んだ。結果、最高のステージを堪能できた上、ギジェルモの信頼も得て、来日についてはすべて順調に話すことができた。

 その時モントルーに来ていた青木さんとも仲良くさせてもらったのだが、彼はFM東京に3、4本の人気番組を手がけていて、その番組のすべてを使ってこのブラジル・シリーズを応援してくれた。そのほとんどの番組のプロデューサーが、ついこの間までJ-Waveの社長を務めていた斉藤日出夫さんだった。青木さんと言えば、後に青木さんつながりで渡辺貞夫さんのイベントにガルを招聘し、出演させる手伝いなどもした。彼女の3回の日本公演は、すべて関わったことになる。今となっては最高の栄誉だ。仕事も面白かったが、青木さん、斉藤さんを始め、そのスタッフ、ミュージシャンたちと毎日のように、時には朝まで熱くブラジルのことを話しながら盛り上がった事は忘れられない思い出だ。

 さて、ガル・コスタはその後も、破竹の勢いで録音に海外ツアーにと、まさにブラジル音楽の女王として君臨、活躍してきたのは、ニュース記事や、CD、DVDなどで皆さんも知っての通りだが、ブラジル音楽のスターたちの素晴らしいところは、琴線に触れることはすぐに自分の音楽に取り入れて、自分のスタイルに仕上げて傑作を残す。そのスピードは天才的と言うしかない。ガルも相当忙しい人だったが、彼女を数段高いステージに引き上げてくれた、カエターノを始めとするバイーアの仲間たちとは、今でもまさに兄弟以上の関係で付き合いを続けているし、彼女は頑固なところもあるが、実は奥底から優しい人間でもあった。彼女は若い頃の病気で、子供を持てなかったが、2007年に、リオのモーロで知り合った貧しい家庭の2才の男の子と養子縁組をし、心底愛して、今ではサンパウロの邸宅で一緒に楽しい生活を過ごしている、と言う一面もある。

 ガルという女性は、仕事に関しては「譲らない」人で、ガルのお母さんには、随分助けられた。宗教にも忠実で契約書は必ず、バイーアの神にみてもらわないとサインをもらえない。そのときの助け船から始まって、何度も「汗」の瞬間に出会ったが、あのお母さんにはいつもお世話になった。先に逝ってしまったガルが一番愛するお母さんと、今頃は空の上で再会して、労をねぎらってもらっていることだろうと思う。ガル・コスタは、最高の歌手で、本当に素晴らしい感動を長い間与え続けてくれた本物の歌手だった。

 ところで、ガル・コスタの一生を扱った映画が完成して、来年にも公開されるというニュースもある。監督はダンダーラ・フェレイラとロー・ポリティ。ダンダーラは女優でもあり、この映画の中ではマリア・ベターニャ役を演じる。映画のタイトルは「Meu nomi e Gal 私の名前はガル」で、亡くなる前にガルのレコーディングは終わっていたそう。Gal Costaのの大役は女優ソフィー・シャルロットが演じる。この映画は彼女の伝記映画ではないようだが、1960年代から1970年代にかけてのガル・コスタの生涯を描いたものと言う。ソフィー以外の出演者は、ロドリゴ・レリス(カエターノ・ヴェローゾ役)、ダン・フェレイラ(ジルベルト・ジル役)、カミラ・マルディラ(デデ・ガデラ役)、ルイス・ロビアンコ(ギジェルミ・アラウージョ役)などのキャストが登場する。また、ブラジルのTV局はこぞってGalの特別番組を放送予定で、この年末は、世界中はもちろんだが、ブラジルではガルの話題で埋め尽くされそうだ。

 ブラジル音楽の素晴らしさを伝え続けてくれたガルに、世界中のファンと一緒に「ありがとう」を大声で叫びたい!!!ゆっくりと眠ってください! 

 なお、彼女の通夜は11/11午前9時から3時まで、サンパウロの南にあるAlesp(サンパウロ州議会)に遺体が安置され、一般のファンも別れができる形で行われる。その後の埋葬は親しい友人と家族に限定して行われる。
                    
                              合掌!

(ラティーナ2022年11月)

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