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【追悼】[1998.09]ガル・コスタ インタビュー〜30年の道のりを経て成熟した今、生まれ変わった歌の女神〜

 ガル・コスタ(Gal Costa 本名 : Maria da Graça Costa Penna Burgos
1945年9月26日生まれ)が、2022年11月9日にサンパウロの自宅で亡くなりました。77歳でした。ご冥福をお祈りいたします。

 本記事は、1998年9月号の月刊ラティーナに掲載されたガル・コスタのインタビュー記事です。

文●原田千佳 写真●斉藤憲三

 1998年。 すぐそこで待ち構えている21世紀に向かって、世界はとめどもない速度で動いている。世界のどこの街に住んでいたとしても、あと2年後にこの世がどうなっているかなんて、誰に想像がつくだろう。

 ガル・コスタにとって1998年という年は、トロピカリズモが30周年、ボサノヴァが40周年を迎えたと同時に、自ら30年の間に築いてきたキャリアを見直すという意味で重要な1年なのだと彼女は言う。
「98年は物事が新しくなった年。いろんなお祝いごとがあった年だったし、自分の30年のヒストリーを再評価する年だったわ。
 それから、個人的にも、マネージメントやスタッフが変わり、家も引っ越した。自分の外側でさまざまな変化があったのだけれど、これはきっと私自身の内側の変化があったからこそ起こったことでしょうね。新しいガルが生まれたのかもしれない」

 その記念すべき年に、彼女は東京にやって来た。 ガルと交流の歴史も長い渡辺貞夫がホストを務める「キリン・ザ・クラブ」での4夜にわたるショーは、どこまでもエレガントで美酒のように私たちを酔わせてくれた。 生命を湛えた “歌” の力が張り、女王ガルの存在感にステージが時に小さくすら見える。
「今回の来日は4回目。自分のファンが増えてきたような気がするわ。知っているパートではみんな一緒に歌ってくれたし、参加型のシヨーができたと思う。日本のお客さんってもっと内気だと思っていたのにね」

 ショーはもちろん、大ヒットしたMTVのライヴ・アルバム『アクースチコ』を主軸にした構成だ。実は、30年に及ぶ彼女のキャリアの中でライヴ・アルバムはたった2枚しか発表していない。ガル自身のトロピカリズモ記念碑的作品と聴こえる、71年のやはり大ヒットしたショーを録音した「ファタル/ガル・ア・トード・ヴァポール』と、最新の『アクースチコ』だけなのだ。 しかも収録曲のうち、5曲が重複している。これは、興味を抱かずにはいられないではないか。
「別に『ファタル』を意識して『アクースチコ』の曲を選んだわけじゃないんだけど……。そうね、「ヴァポール・バラート」は、あの一時代を象徴する曲だったし、その印象が強いんじゃない? あのアルバム自体ブラジルではカルト的な存在になっているわ。最近になって映画のサントラでも使われていて、そこからラジオでも頻繁に流れるようになった。
 同時に『アクースチコ』のレパートリーは60〜70年代の曲が中心で、80年代の曲はあっても2、3曲しか入れていないの。トロピカリズモは自分のキャリアにとって、それだけとても重要だったということ。 選んだ曲のそれぞれが自分のキャリアにとって重要な曲だったと思うの。それにあの時代の歌はしばらく歌っていなかったから、という理由もあるわ。
 それから、今回のステージで「コルコヴァード」や「フェリシダーヂ」を歌ったのは、ジョアン・ジルベルトの影響を受けた、という意味なの。自分が今でもコンテンポラリーな存在で、歌を歌っていけるのはジョアンのおかげだから。カエターノと私を結ぶ接点もジョアン・ジルベルトなの。いちばん最初に出会った時に、どのアーティストが好きなのかという話になって、私は「ジョアン・ジルベルト」と答えたわ。その時から私とカエターノのコラボレーションが始まったのよ」

 暗い時代がそこまで手を伸ばしていた63年、故郷サルヴァドールでカエターノとの出会いがあり、4年後には歌うのが大好きな少女、マリア・ダ・グラサから歌手「ガル・コスタ」への脱皮を遂げた2人の初リーダー・アルバム『ドミンゴ』が発表される。 ジョアン・ジルベルトへの憧れを抱いたカエターノとガルがトロピカリズモの抱えるエネルギーと静なる激しさを内側に秘めた、ボサノヴァの最後の時代と始まりつつある新しい時代とのミーティング・ポイントとも受け取ることができる作品だ。 カエターノがエレキ・ギターをバックに起用して観客のド肝をぬいた「アレグリーア・アレグリア」が発表される直前のこと。
 そして悪夢の時代、政府は彼らの歌をも封じ込めようとするのだ。
「あの頃、ジルやカエターノがロンドンに亡命した後も、私はブラジルに残って彼らがロンドンで作った歌を歌い続けていたわ。私に与えられた役割は、彼らがいない間も自分の存在を通して彼らの存在を人々に伝えていくことだった。トロピカリズモのイデオロギーを私の存在が媒体となって伝えてきたし、私の声を通してトロピカリズモの概念が伝わるように歌ったのよ。
 それにトロピカリズモの時代は、集中して実験的なことをしたわ。私も新しいことが好きで、挑戦しようという気持ちがあったからトロピカリズモに自分を一体化させるのは大変なことではなかったわ。どんどん実験的なことをやらせてもらえる存在だったから、すごく刺激的だった。それが私にとってのトロピカリズモなの。
 今はこの30年間の成長が自分にもよく見えているわ。歌の完璧さを求めるという意味でライヴ・アルバムを避けてきたんだけど、今回の『アクースチコ』を聴いたら私自身が望むように完璧に歌えている。昔では考えられなかったけれど、ステージに上るときも今ではいつも平静でいられるし、だからこそ充実しているわ。それが今の自分の成熟さ。あの時代にやって来たことが、この成熟につながっているのだと思う」

 そして、この成熟があり、自分を再評価する機会を得られたことが、次の段階へと踏み出す一歩となったのは言うまでもない。
『アクースチコ』をきっかけに出会ったパララマス・ド・スセソのエリベルチ・ヴィアナやゼカ・バレイロが書き下ろした新曲が、ガルの新作に収まる予定なのだという。
「エリベルチのことはずっと前から知っていて、実はずっと前から曲を書いてほしいと思っていたのだけれど、チャンスがなかったのよ。今回、MTVの出演が決まって、もちろんMTVは若者向けの放送局だからそれにマッチするようにと、彼の出演が決まったの。私もそんなふうに以前から彼に曲を書いてほしいと思っていたから、ちょうどいい機会になったというわけ。
 ゼカ・バレイロは最初のアルバムが物凄くヒットして、その中の「フロール・ダ・ベリ」は私の歌った「ヴァポール・バラート」がサンプリングされたオマージュ曲になっている。それを聴いて、素直に感動したわ。 若い人たちもトロピカリズモの影響を受けているのがよく分かって、そういった意味であのサンプリングはとても嬉しかったのよ。 MTVの方はゼカの存在を知らなかったのだけれど、私の意志で彼を呼んで、参加してもらったの。そして私にオマージュを捧げてくれたお返しに、私は彼へのオマージュで「ヴァポール・バラート」を歌って、そしてそれがまたヒットして話題になったわ」
 そう。カエターノやジルと共に、ガル・コスタの歩いてきた道はちゃんと次の世代に受け継がれている。
 今や本物の “歌手” として圧倒的な存在感を誇り、ブラジル音楽の貴重な宝物としての座に揺るぎはないのだけれど、ガルは決して冷たく君臨する女王ではない。歳をかさね成熟の境地に達しても、変わり続ける自らの国の発信する音楽に積極的に耳を傾け、続く者たちを刺激し続け、同じ目線でまた新たな “歌” を発信し続ける。だからこそ、聴く者たちはその “歌” の力に思う存分身体をあずけることができるのだろう。
(インタビュー通訳: 国安真奈)

(月刊ラティーナ1998年9月号掲載)


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