【追悼】[1998.06]ガル・コスタ 彼女の歌人生を集約した最高のショー『アクースチコ』
文●本田健治 texto por KENJI HONDA
俺はガル・コスタのショーに関しては、ほとんどすべて観てきているけれど、今度の「アクースチコ」は凄い。レパートリー、ミュージシャン、アレンジどれをとっても、彼女のキャリアの中でも恐らくベストのショーと言えるんじゃないか。でも、これをやってしまったら、後が心配だ。何故かって、このショーはガルの今までのキャリアの中でのいわゆる名演、名唱と言われた曲をすべて網羅した、ある意味ではベスト・アルバムみたいなものだ。ここ数年の彼女のショーには疑問を感じる事もあったんだが、これには言葉もない。完璧そのものだ。
上は、昨年度、ゼカ・パゴジーニョのショーを演出し、TVグローボの年間最優秀ステージ賞を受けたばかりのトゥリオ・フェリシアーノの言葉だ。どんな作品にも歯に衣着せぬ言葉で直接的な評をする。ガルの今回のショーに関しては、多少嫉妬も感じるとまで言いながら、大絶賛してみせた。
渡辺貞夫のキリン・ザ・クラブは、昨年のカエターノ・ヴェローゾに続いて、このガル・コスタの「アクースチコ」で、またまた大きな感動を運んできてくれる事になった。
3月14日、リオのカネコン劇場で「ガル・コスタ/アクースチコ」の今回は約2ヶ月以上にわたるロングランのリオ最終公演を超満員の聴衆のもとで終える事になった。最高の評価の上、連日満員の上でのフィナーレであった。実はこのショーはMTVブラジルが主催し、97年の7月には完成され、モントルー公演も果たしたショーだ。サンパウロのメモリアル・アメリカ・ラティーナで7月17日に行われたショーは、ビデオも、CDも発売になってすでに日本でも話題になっている。それからサンパウロのパレス劇場でのロングランなど成功の連続なのだから、これはガルの過去のショーの中でも、興行成績だけ見てもトップ・クラスの成功だろう。
現在のブラジルの音楽ビジネス・シーンは「ライヴ盤」ばやりである。スタジオ録音の後、ライヴ盤を発売して、百万枚以上のセールスを記録するなんてこともある。レコード会社はこのライヴ・ブームをさらに助長する。テレビ局とのジョイントで、アーティストのコンサートを企画し、制作費を持ってライヴCDとビデオを作り、レコード会社はテレビ局にロイヤリティと、そのチャンネルでの放映権で支払ってゆくというストラテジーだ。まず、火をつけたのがHBOいう映画チャンネルが制作したカエターノの「フィーナ・エスタンパ」のライヴCD、ビデオだ。HBOは全ラテンアメリカで流されるから、莫大なセールスを記録した。筆者自身、この「フィーナ・エスタンパ」はアルゼンチンでもメキシコでもマイアミでも、HBOのチャンネルで何度も見る事ができた。MTVは日本以外の音楽ファンなら誰でもお馴染みの音楽専門チャンネル。一日中音楽と、ライヴと、インタビューでもっているUHF局。ガルの「アクースチコ」はこのMTVが放った大ヒットだ。プロデューサーはエリス・レジーナ以来、ブラジルの超スターを手掛けてきたマゾーラ。ライヴ録画の後、彼のスタジオで完璧に修正、取り直しもやってミックスまでしたから出来の方は完璧だ。
このライヴが収録された昨年、ガルは音楽生活30周年を迎えた。今年は「トロピカリズモ」生誕30年。ボサノヴァの40年と共にブラジルでも話題を捲いているが、しっかりとこのトロピカリズモ年を意識した企画であった。
マリア・ダ・グラーサ・コスタ・ペンナ・ブルゴス(ガルの本名)は、バイーア州サルヴァドールに生まれ、少女期はバイアーノ・テニス・クラブにあるレコード店で働きながら、音楽を聴きまくるという音楽一筋の生活をくり返していた。カエターノ・ヴェローゾとジルベルト・ジルに出会った事から、彼女は彼らが起こしたブラジルの新しい音楽運動トロピカリズモのミューズとして輝かしい功績を残してゆく。彼らと共にサンパウロに出、最初のショー「砂はバイーアを歌う」はほとんどヒットとは言えなかったが、このショーを観たものの心をしっかりと捕らえてしまった。自分のことを「グラシーニャ」と呼んでいたのを「ガル」という愛称で呼ぶようなったのはちょうどこの頃である(年下のいとこが最初こう呼び始めたらしい)。カエターノとジルが海外での亡命生活を余儀なくされていた68年から77年までの間も、ガルはミューズとしての働きを十分に果たしてゆく。政治的にはラジカルな立場を主張しつつブラジルに残り、カエターノやジル、トム・ゼー、トルクアート・ネト、ジャルズ・マカレーらの作品を歌い続けた。どんな作品も「ガルズ・マジック」で、輝かせてしまう彼女の所にはいろんなクリエーターたちが作品を寄せてきた。ジョルジ・ベンジョール、ロベルト&エラズモ・カルロス、アドニラン・バルボーサ、ルイズ・メロヂア ……。70年に発表した「レ・ ガル」ではついに初のサンバも録音している。
日本と関係してくるのもこの頃だ。70年代初頭、筆者はフォノグラムというフィリップス・レーベルを持つ会社で新しくブラジル企画を立ち上げたが、この時にトップに据えたのがガルの「インヂア」であった。
その少し前、71年にガルがリオでやったショー「ファタル/ガル・ア・トード・ヴァポール」が大評判を呼び、そのライヴ・アルバムが話題を撒いた。ギターの押さえミスも、マイクの落とした音もそのまま収録した、たいへんにシンプルな2枚組のアルバムだったが、これが一度聴いたら離れられない、結構不思議なライヴ盤だった。実は筆者のブラジル企画の原点もこのレコードだった。ブラジル・フィリップスというと当時は絶大なシェアを誇っていて、エリスからバーデン、カエターノ、ジル、ベターニア、ガル、ジョルジ・ベンなど90%以上の大アーティストを抱えていた。で、73年、考えてみると今のMTVとの共同企画の原点とも言えるライヴ盤をこの会社が行った。「フォノ73」(今年初CD化)というアルバムで、契約アーティストたちを大挙出演させ、ライヴ録音し、放送させ、レコード・プロモーションに使うというやり方だ。この「フォノ73」からはとてつもない評判の曲が生まれた。「11時の夜汽車」だ。会場中が大合唱する感動的な録音で、これは日本でもシングル・カットしたが、ブラジル企画もこの曲も「心ある」関係者に聴かれただけで、セールス的には惨敗だった記憶がある。
80年、ガル・コスタは前年に発表した「ガル・トロピカル」を引っさげて、いよいよ世界戦略を開始した。モントルー・ジャズ・フェスティバルを皮切りに、ヨーロッパ、USAと着実に成功をかさねて行ったのはこの年だった。最初のモントルーで、並みいる大物シンガーたちの間で、ガルはじつに堂々と、風格に溢れていた。筆者は今度はステージ・プロデューサーとしてガルと出会い、彼女の初の来日公演を行ったのだが、この年の「ガル・トロピカル」の成功がなかったなら、現在のブラジル音楽のブーム(まだまだ可愛らしいものだが)はなかったと、心からそう思う。記念碑的な日本公演だった。
83年、海外での成功をものにしたガルは、さらに完成されたショー「ベイビー・ガル」を発表、これはブラジルのショー・ビジネス界の記録となる成功をおさめた。今年、やはりキリン・ザ・クラブにやってくるセザール・カマルゴ・マリアーノの絶妙のアレンジで、88年に大ヒットさせたカエターノの「ベイビー」をニュー・ヴァージョンで紹介し、トゥナイという新人の名曲「エテルナメンチ」を配したステージは非の打ちどころのない感動的なものだった。(今回の「アクースチコ」はこの「ベイビー」の最新ヴァージョンで幕をあける)。88年に2度めの来日公演を果たすのだが、実はこの時、できる事なら「ベイビー・ガル」のショーを持ってきたかった。日本のファンにぜひ聴いて、観てもらいたいショーだった。
今年、3月20日、サンパウロのオリンピア劇場で「アクースチコ」を観た。シコ・ブアルキやナナ・カイミのステージでも評判のよかったドラムスのジュリン・モレイラ。カンピーナス大学の音楽教授で、エヂソン・コル
デイロ、ベターニアのバックもつとめた事のある黒人アコーステ ィック・ベース奏者、ジョルジ・オスカル。日本でも馴染みの深いパーカッショニスト、シジーニョ。ルイズ・ブラジルの兄弟(だったはず)のギタリスト、モウ・ブラジル。サックス・フルートの達人ゼー・カヌート。若手の実力派ピアニスト、ジョアン・ヘボウサ。これにオーケストラ(日本にはもちろんやってこない)を加えた充実の内容、深い感動を覚える絶品のステージだった。「ロンドン・ロンドン」「ヴァポール・バラート」など、レパートリーはトロピカリズモ時代の名作がたっぷり。ビデオにもCDにも収録されていない曲をあげてみよう。テレビ小説のテーマ・ソングで、チン・マイアとデュエットして世界的にヒットさせた「ウン・ヂア・ヂ・ドミンゴ」、シコ・ブアルキの67年の傑作「君を見たもの、君を見るもの」、アドニラン・バルボーサの「11時の夜汽車」、カエターノの「メウ・ベン、メウ・マル」 ……。どんな時にも聴いてみたいガルの代表曲が、こんなにもビッシリ詰まったショーはまたとないだろう。
ガル・コスタは「トロピカリズモのミューズ」として大変重要な時代を生き、そして、現在は押しも押されもしないブラジル・ポピュラー音楽界の女王である。「ブラジルの」とか「トロピカリズモの」とかいう形容が陳腐に思えるほどの、世界的なレベルでみても成熟した本物の「歌手」である。 チン・マイアを失った今、ブラジル・ポピュラー音楽界にとってますます「宝物」的意味あいを大きくしてきている至宝である。今回のショーも、永遠の兄貴分カエターノが陰に日向に影響しているのは否めない事実だ。今回の来日実現にも、カエターノの神のアドバイスが決定的な役割を果たした。おそらく、昨年のカエターノ公演と同様、大きな感動が会場を埋め尽くす、そんな日本公演になると思う。心から楽しみである。
(月刊ラティーナ1998年6月号掲載)
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